1970 – 1990年代
1960年代、高度経済成長により日本経済は急速な成長を遂げた。国内インフラの整備も進み、生活は豊かになった。そして1970年代には海外へと目を向ける。
Hondaは1963年からパワープロダクツの輸出を開始していたが、約1千万台(当時)という世界汎用エンジン市場に対してME(ミリオンセラー・エンジン)構想を計画。年間生産台数が20万台程度のHondaが、年間100万台の販売を目標とする計画を立案した。
当時世界市場の約8割を占めていたのはアメリカ製エンジンだった。アメリカ製エンジンは大量生産によるメリットを生かして安価だった。反面、耐久性やメンテナンス性に課題があった。
そこでHondaは1977年、ME構想に基づいて開発した「G150/200型」エンジンの販売を開始した。「G150/200型」エンジンは、新材質や新構造を採用。オイル不足時の自動エンジン停止機能や、メンテナンスフリーのCDI点火、容易な始動性のデコンプカム、非常時の迅速停止が可能なキルスイッチなど、主流商品の弱点を克服したエンジンだった。
「G150/200型」エンジンは東南アジアで「店頭に並べなくてもどんどん売れる赤白のエンジン」として好評を得て、船外機やポンプなどに幅広く搭載された。
ME構想で開発したエンジンはシリーズ化し、1982年に目標の年間100万台を実現した。世界市場で1割にすぎないが、ME構想による新エンジンは、Hondaの高い技術力と確かな着眼点を世界にアピールすることに成功した。
Hondaが、次に取り組んだのはアメリカ向けの芝刈機だった。顧客の要望を徹底した現地調査で把握。技術力とアイデアで課題を克服し、高品質で耐久性に優れた扱いやすい製品という、それまでHondaが実施してきた手法をアメリカでも展開した。
そして1978年には、特に不満の多かった始動性、耐久性、静粛性を克服した、Honda初の歩行型芝刈機「HR21」の販売を開始した。
「HR21」には、BBC(Blade Brake Clutch)機構という画期的な安全装置を装備。これはクラッチレバーを握ることで芝を刈る刃が回転するとともに前進するが、放すことで3秒以内に回転刃が停止する機構。アメリカの消費者は安全装置を強く望んでいたが、技術的なハードルが高く既存製品には装備されていなかった。Hondaの芝刈機は瞬く間にアメリカの家庭に広まり、Hondaの「HR21」は定番商品となった。
未知の海外で、未知の新製品を開発して販売するというHondaのチャレンジは、要求されたニーズへの対応にとどまらず、自ら進化のための追求も続けた。「HR21」で採用したBBC機構は、その後アメリカにおける芝刈機の安全基準ともなり、結果として大きな社会貢献にもつながった。
次なるチャレンジはOEM供給向けのエンジンであった。OEM(Original Equipment Manufacturer)とは他社ブランドの製品を製造することで、パワープロダクツのエンジンはそのほとんどがエンジンメーカーから供給されたOEMエンジンだった。OEM供給されたエンジンは大きな問題がなければ変更されることがなく、革新的な技術が導入されない限り新規参入は困難な状況だった。
1970年代はオイルショックや、厳しい排出ガス規制“マスキー法”がアメリカで発表されるなど、省エネルギーや環境対策が新たな課題となっていた。Hondaの四輪部門ではCVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)エンジンを開発、マスキー法に対応するなど、高い技術力を世界に示した。
Hondaは汎用エンジンにおいても高出力・低燃費、静粛性が高く、環境に優しいエンジンの実現を目指し、無限を表す“Zillion”から命名されたZE(ジリオン・エンジン)構想をスタートさせた。
当時の汎用エンジンの多くはSV(Side Valve)機構を採用。しかし、高出力、低燃費、耐久性、静粛性、信頼性の高さを実現するためにはOHV(Over Head Valve)機構が有利だった。しかし反面、OHV機構はサイズが大きくなり、部品点数も増加するなどの欠点もあった。このOHV機構にHondaは果敢にチャレンジ。
1983年に「GX110/GX140」型エンジンの販売を開始した。「GX110/GX140型」エンジンは、傾斜シリンダーや部品の集約化によって課題を克服。あらゆる面で「わずかな差ではなく、圧倒的な違い」で従来のエンジンを凌駕しながら価格は同等に抑えることに成功した。
GX型汎用エンジンが実現した傾斜シリンダーのOHVエンジンは、その後他メーカーも採用し、OEMエンジンの業界標準になり、汎用エンジンに革命をもたらしたとも言えるエンジンであった。
1981年、パワープロダクツの生産累計は500万台を達成。約30年間で達成した500万台だったが、その4年後には1000万台を達成した。
Hondaパワープロダクツは、需要の大幅な拡大により、1984年にはアメリカで芝刈機工場の稼働を開始。1986年フランス、1987年タイ、1988年オーストラリア、インドでも生産を開始するなど、海外での生産は一気に拡大した。
1970年代から1980年代初頭のHondaパワープロダクツ事業は、新たな世界市場へ向けてチャレンジを実施。革新的な製品を開発する柔軟な発想や着眼点と技術力は、世界中で高い評判を得て、その高い品質と耐久性は新たな基準となった。1990年代に入ると、Hondaは自ら上げたハードルを乗り越えるため、そして新たな課題となる環境問題に果敢にチャレンジする。